はこにくみ

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映画見ました!西の魔女が死んだ

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人には見せたくないもの。人は大人になろうとするときそういうものがどんどん増えていく。私自身にも、暗闇の中でもがくような気持ちで過ごしたどん底の日々がある。主人公のマイは、とあるきっかけで登校拒否になり、しばらく田舎のおばあちゃんの家で過ごすことになる。おばあちゃんは英語教師として来日したイギリス人だった。これは、イギリス人のおばあちゃんと登校拒否のマイとが一ヶ月だけ一緒に過ごした日々についての物語である。

ここで過ごすうち、実はマイは超能力を持つ家系に生まれたことを知る。魔女になるためには、精神力を鍛える必要があると知り、静かな魔女修行が始まった。早寝早起き、食事をきちんととってよく運動し、規則正しい生活をする。単純なように見えること、でもこれはマイに取って一番難しいことでもある。魔女になるために一番大切なことは意思の力、自分で決める力、やり遂げる力。この力は、難しいことを乗り越えないと手に入らないかもしれない、そう教わった。

滞在していくうちに、どんどん心地よくなっていくこの家。お気に入りの場所を「マイサンクチュアリ」と呼んだり、夢わすれな草と白い花に名付けたり、穏やかな日々を過ごす。イギリスで占い師をしている優秀な妹や、自家製のかりん酒を飲みに立ち寄って話をする郵便屋さん、あたたかい人たちに囲まれていた。魔女修行も少しずつ進み、大切なことは、物事の正しい方向をキャッチするアンテナと、何事も自分で決める力なのだと教わった。

鶏が夜に教われたとき、マイは隣に住むギンジさんの家の犬の仕業だと決めつけた。直感に取り付かれ、自分の思っていることが真実だと主張する。でも、あまり上等ではない魔女たちはそうやって自滅していった。正しいかも、そうじゃないかもしれない。今マイの心の中が疑惑とか憎悪とかでいっぱいになっているということを、おばあちゃんは指摘した。こうなると、疑惑が晴れても、また新しい疑惑が現れる。そういうエネルギーの動きはひどく人を疲れさせる。おばあちゃんはこんな事件が起きたあとの絶妙なフォローを怠らない。夜中に突然お菓子を焼きたくなることがあるのだと、そんなおばあちゃんはこの日の夜に、マイの部屋をお茶と焼きたてのお菓子を持って訪れた。マイがそうしたかったら、ここにずっといてもいい。学校や日常生活に戻らなくても。でも、マイの気持ちは違った。

あんな汚らしいやつ、もう死んじゃえばいいのに。近所のギンジさんに対して嫌悪感を抱くマイのことを、とうとうおばあちゃんは叩いてしまう。マイは幼い。でも、おばあちゃんもマイの言葉に動揺して感情を高ぶらせた瞬間だった。結局、その数日後にマイはここを離れる。次回この家に戻るのは二年後、おばあちゃんが亡くなったという知らせを受けてからだった。隣に住むギンジさんがぶっきらぼうに話しかける。「何か手伝うことがあったら言ってほしい。俺は出来が悪かったけど、おじいちゃんとおばあちゃんにはよくしてもらった」と。ここでマイは、ギンジさんが白い花を咲かせた野草のことをキュウリ草と呼んでいることを知る。かつてマイが夢わすれな草と名付けた草を見ながら、あれだけ嫌悪していたギンジさんと自分との共通点を見つけて過去を思い直したのだろうか。

「ニシノマジョカラヒガシノマジョへ

オバアチャンノタマシイダッシュツダイセイコウ」

まだ死んだことが無いから、魂が体から出て行ったあとのことは分からない。ある夜におばあちゃんはマイとこんな話をしていた。久々に訪れたおばあちゃんの家には、おばあちゃんが魔女として、最後の約束を果たしたことを告げるメッセージが残されていた。魔女って特別な名前をつけるとそのとたんに仰々しいものに感じられるけれど、こんな風に穏やかに暮らして、いつも変わらない、でも言葉の一つ一つに魂がこもっていて、周りから愛されているおばあちゃんって、きっとどこにでもいる。人は年をとっていくうちに、疑念や苦しみや安らぎの日々を積み重ねて、密かなパワーを持った魔女のような存在になっていくのではないだろうか。そんな存在は、小さな社会で生きている中学生のマイに取って、とても大きなものに見えたに違いない。大人になる過程において敏感なこの時期に、おばあちゃんと過ごした日々はかけがえの無いもの。この映画を見ているうちに、私も自分のおばあちゃんに会いにいきたくなった。

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